JA7IC's OLD SHACK
2009年6月


2006June〜2012Jan.


2006年4月

2004年12月
2004年3月

ディスプレーをトランシーバの上に移し視点を高くした事で操作から発生する疲労軽減を計った

2003年

ほぼ現在の形態だが、PCディスプレーが机上に直置きでした

2002年にDXCC #1を得て次のステップを模索する時期でもありました。
1999年

ロギングをパソコンにダイレクト入力を開始した当初である。
ほぼ、現在の形態に近い状態に成っている。
1997年

この頃はTS-950SDがメインで、ログは未だ手書きログを後でPCに転記していた。
机上にはパケットクラスター用のノートと、ログなど処理用のノートPC2台があった。
左側のPCは三菱アプリコットMMX Pentium 166MHz
ログは1990年頃よりDOS版の"BOOSTER AROS"(JA3HIC開発)を使いはじめ、やがて"SUPER AROS"へと発展していく。
長い期間使い続ける結果となった。

   

1989年頃

1989年秋にTS-950SDになった。壁のDXCCに、40m DXCCが加わった。
デスク右側にはTS-790, IC-575D
パソコンはPC-9801VXにグレードアップしていた。
そして、自作のN88 DISK BASIC版"Log"も16ビット版へグレードアップした。





1985年頃

TS-930S
この頃はHFは続けていたが、主に430MHzSSBで国内遠距離を楽しんでいた。
1990年代に入るとタワーから430のアンテナを下ろし、代わりにWARKバンドの
アンテナが上がってHFメインになった。
しかし、海外のアワードは1980〜85年頃が最も多く受賞していた。
PC-8801 8ビットPCを使い、N-88 DISK BASIC自作ログソフトでログを記録した。
左端に僅かに見えているプリンターは往年の名機PC-8821
1981年 

FT-107M Line
現在のQTHに新しいシャックが出来た頃、左はHF右はUHF関係
HFのアンテナは最初の2年くらいはTH3MK3その後はTH6DXXを14年間使いました。

1976〜79年頃

FL-101/ FR-101 Lineを使っていた。
FR-101には350Hzの特注フィルターを装備していた。Ant.はハイゲインTH3-MK3
この当時の機器はFR-101以外は殆ど現在も持っている。
1974〜75年ころ

FT-101B
1974年春、DXを再開した頃、キーはバイブロのバグキーがメインで、エレキーのシングルパドルを使い始めていた。RigはFT-101B+VFO、Antはトラップド・バーチカルでした。
1956〜59年

上左 X'MTER,
下左 MOD, 中VFO, 右 RCVR

XMTR 807 singl Running input 54watts (450V 120mA) この807は良く吸い込みました。
    6V6-807
MOD 807 singl
VFO 6CA7(3.5MHz) 6AR5(X2=7MHz)
ANT Half wave Doublet (Dipole) for "NA"
    Half wave Folded dipole for "EU"
KEY BK-50 国際電機?製セミオートマチックキー(戦後国産第1号のバグキーと思われる 1954年購入)
RCVR RF-1, IF-2の当時の標準的な受信機にDELICA "Q-Multiplier"を付加してCWの選択度を上げていた。
    ノイズが増えるとひっくり返して半田付けをやり直していた。 お陰で半田付けが巧くなった?
この当時時計は備え付け義務であったので、古い置き時計が送信機の下に置いたが実際は腕時計を使っていた。